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保存用にもうひとつ?

マニアはひとつの商品を最低2個購入します。ひとつは開封して遊ぶため、そしてもうひとつはパッケージそのままの状態で保存するため。
そんな話を、スターウォーズのエピソード4〜6の特別編公開のときだったかに聞いた。
特別編のエピソード4が日本で公開されたのが1997年。同じ年に「スポーン(spawn)」がアメリカで公開され、翌年日本で公開された。
「スポーン(spawn)」は、トッド・マクファーレン(Todd McFarlane )というカナダの漫画家が描いたアメリカン・コミック。
マクファーレンは、「バットマン」や「スパイダーマン」などのイラストも担当している。
彼は、自分の作品をフィギュア化すべく、「マクファーレン・トイズ」を設立した。
この「スポーン(spawn)」のフィギュアの完成度が高かった。登場人物たちが塗装済み立体フィギュアとなり、シリーズで発売された。フォルムもリアルで細部まで作りこんである。みごとな塗装が施されている。これをどうやって大量生産するのだろうと、当時、驚くしかなかった。それまでのフィギュアを格段に超えたと思った。
この「マクファーレン・トイズ」の「スポーン(spawn)」フィギュアが、その後のフィギュアを変えた。
スターウォーズ特別編の公開とスポーンのフィギュアで、フィギュア熱に火がついた。火がついた人たちが世間に繁殖した。
ひとつのフィギュアを2つも3つも買う人たちが増殖した。

ちなみに、スターウォーズ特別編は、製作時1976年に技術の問題で映像化できなかったアイディア部分を、その後進んだデジタル技術で修正追加し、色彩や音響なども再編集された。
旧作のときには描けなかった新たなシーンが追加されていたり、ハン・ソロがジャバ・ザ・ハットの尻尾を踏むシーンも追加修正されている。
エピソード6のラストシーン、イウォークの村での祝宴のシーンで、ルークの前に、オビ=ワンとヨーダ、父のダース・ベイダー卿が素顔で現れるが、旧作では年をとった親父の顔。が、特別編では若いアナキンに変わっている。気づいたときは「すごい。こだわり!」と思った。
古いシーンは、旧作のVHSかレーザーディスクを持っている人しか見られない。レーザーディスクはあるが、プレイヤーがない。

1992年に神奈川県の相模原に「トイザラス」(3号店)が開店し、そこで「GIジョー」と再開して、子供の頃からくすぶっていたフィギュア熱がほそぼそと燃え始めたが、経費はすべて息子の「マスクマン」や「仮面ライダー・ブラック」「トランスフォーマー」に消えた。
その5、6年後、息子もスターウォーズにもスポーンにもハマって、2人で燃えた。
けど、いまだにフィギュアに燃えているのは、いや“萌えている”のは自分だけ。息子には呆れられる。結局、息子より自分の方が子供だった。

おもちゃは遊ぶためのもの。フィギュアはポージングをして飾るためのもの。
もともとが「○○ごっこ」をして遊びたいタイプ。主役にパーツを持たせ、着替えさせ、ポージングをして楽しみたい。パッケージに収めたまま眺めて満足するなんて我慢できない。だから、保存用にもうひとつ、なんてことは、まんがいち裕福であったとしても、きっと考えなかったはず。

が、最近のフィギュアのパッケージはハンパなくすごい。
ゆえに、保存用も含めて2個欲しいというのもアリだと思った。
パッケージは運搬用の包みで主役は中身のはず。
なのに、いつの頃からかパッケージ自体が豪華になって、主役がかっこよくレイアウトされて収められて。
そのまま飾っても十二分に鑑賞に堪える。いや、それどころか、それを包む外箱すらお洒落で飾れるから、傷つくのが憚られる。
「ホットトイズ HOT TOYS」のフィギュアなどは、外箱を包む専用のダンボールに入れられて届く。
きっと、超マニアはそのダンボールさえもコレクションの一部なんだろうな。
「輸送用ダンボールに少々の痛みが」なんて、ヤフオクのコメントに付きそうだ。
のちのちヤフオクで売るためになんて、到底考えないが、「遊びや展示用」と「保存用」の2個欲しい。

「ホットトイズ HOT TOYS」 は、香港の玩具メーカー。超高精度の1/6フィギュアを造っている。最近のラインナップを見るとただただ呆れる。玩具というよりは作品、一点ものといっても問題ないフィギュアを製品化している。
このホットトイズの「ベイビードール BABY DOLL」のパッケージが凝っている。

「ベイビードール BABY DOLL」は、映画「エンジェル・ウォーズ(原題:Sucker Punch)」の主人公。独特な雰囲気で非現実の世界を描いた“空想科学アクション”。古くてベタな表現(汗)。主人公はブロンドのツインテールで、衣装はミニのセーラー服。日本刀を背負い拳銃を身につける。まさに“アキバ系”のキャラクター。ツェッペリン飛行船や片方の翼にジェットエンジンが取り付けられた大戦機B-24リベレーター、モビルスーツまで登場する。なんでもアリ。けど1シーン1シーンがかっこいい。常に画面は暗くてダークなイメージ。音楽もいい。監督ザック・スナイダーが創出した不思議な世界観。こういうの、大好き。ハマった。 

このベイビードール BABY DOLL」をホットトイズがフィギュア化した。そのパッケージがかっこいい。
映画の雰囲気、メインキャラクターたちのイメージにぴったりのデザイン。
フィギュアを納める箱に、蓋を上からを覆うように被せ、むやみに外れないように箱と蓋をリボンで繋ぐ。
このリボンが、キャラクターたちが劇中で身につけている“ガータベルト”に使われている素材。
誰が考えたのだろうか、発想に“やられた”。ホットトイズのデザイナーはかなりセンスがいい。
限定生産だそうで、どれくらい生産されるのかは知らないが、でも、これを量産するのは、もう呆れるしかない。

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ホットトイズ HOT TOYS 「ムービー・マスターピース」シリーズの「ベイビードール BABY DOLL」 1/6スケール

30箇所以上が可動する。日本刀やピストルなどの武器を持たせるため、差し替え用ハンドパーツが付属する。
顔も演じるエミリー・ブラウニングそっくり。かなりの精度で再現されている。一つひとつをハンドペイントで塗装しているのだそうだ。ブロンドのヘアスタイルも植毛で再現され、衣装やホルスターなどの装備までかなり細かくつくられていて“超”すごい。

 
開封せず、中身もちゃんと収まったまま、開封前のわくわく感をいつまでも楽しむ。新品の状態で保有する。そんな満足感をコレクションするために「保存用」を買う。

そう思うほど、最近のパッケージはクオリティが高い。パッケージを含めて製品の完成形。

フィギュアとパッケージの一体の関係。いや、フィギュアだけでなく、特に趣味の対象となりうる玩具全般にいえるパッケージのあり方。
そんなことを最近よく考える。
おもえば、タミヤのプラモデルのパッケージにも、かつて似たようなことを感じた。

Blue Angels

ブログにずいぶんご無沙汰をしてしまった。
引越しをして約100日、新趣味部屋の構築作業に没頭していた。
いや、いまだ没頭中。

趣味部屋の移設が決まり、運び込んだ引っ越し荷物を、毎日こつこつと開梱してレイアウト。
荷物のほとんどがもちろん“1/@ Hobby's Item”。大人? のおもちゃ。自分にとっての宝の山。
今まで飾る場所がなく、泣く泣く押入れに眠らせていた“彼ら”に陽を当てる作業。
「あ、これもあったんだ。」「そうか、こいつもいたんだね。」
ひとつひとつ、梱包を解くたびに手にとってじっくりと眺め、物によっては外してあったパーツを取り付けてみたり、衣装を着せてみたり。
しばらく遊んで、やっと「さて、こいつはどうやって飾ろうかな。」という始末。
このままだと、何時、新趣味部屋(仮称)が完成し、ちゃぶ台ではなくなったファクトリーが稼動し、中断している「ゼムケのP47 1/18を作ろう」プロジェクトが再開するのか。

趣味部屋構築作業、じっくり進むのにはもう一つ原因がある。精神的に余裕が出来たこと。趣味のことに夢中になれる心のゆとりが出来たこと。
図らずもの人事異動で新天地に単身赴任。今年で3年目。まさにこの新天地の生活が、心にゆとりを与えてくれた。
それまでの、ありがちな、人間関係によるストレス漬けの毎日から一転。仲間にも恵まれ、季節が素直に感じられる住環境にも恵まれて、本来のときの流れを取り戻せたといってもオーバーじゃない。だから、好きなことにじっくり取組む心のゆとりができた。“こだわり性”の箍(たが)が外れて、時間を忘れてのめり込めるようになれた。
引越し荷物を一つ解いては“のめり込んでいる”いるのだから、じっくり進むというより停滞。そりゃ、はかどる筈も無い。

「Blue Angels」のパイロットが出てきた。12インチ。6分の1。
購入後、箱から取り出し、ガラスケースに立てて飾っていたが、数年前に仕舞いこんでいた。
どこのブランドのものだったか、記憶が薄い。箱も捨ててしまって確認もできない。「Toys Air Mail」という会社が発売したものだった気もするが。
フィギュアか何かのイベント会場で限定で売られたものだったような。10数年も前、「限定」の言葉に引かれ、知らない街の会場に電車を乗り継いで行ったかすかな記憶が。
「Blue Angels」の1/1のエンブレムが付録でついていた筈だが、それもない。
Toys Air Mail」だとすると、Hot Toys製か。Toys Air Mail はHot Toysの正規代理店で、中野ブロードウェイにお店があった筈。今はない。

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久しぶりの対面。あらためて見直すと、フィギュア自体のプロポーションの問題もあるが、耐Gスーツなどが細身に作られすぎていて、装着すると足が極端に細く見えてしまう。
なので、少しましなプロポーションのフィギュアに装着し直し、ヘルメットの外れやすいパーツなどを接着し直した。
しっくりくるまで数体のフィギュアに、着せたり、脱がせたり。気がついたら、日が変わっていた。

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2005年9月、「Blue Angels」の演技を“ライブ”で観た。
アメリカの東海岸にあるオシアナという海軍航空基地。2005 NAS Oceana Air Show。
F-14トムキャット最後の勇姿を、と銘打った航空ショー。退役間際、各地の基地からオシアナに集められ、航空ショーとして公に飛ぶのはこの時が最後。
そう聞いて、友人夫婦と家内と自分、4人で無我夢中で渡米した。
国内の航空ショーは岐阜も行ったし、静浜も、小松基地も行った。もちろん「Blue Impulse」のベース松島も行った。けれど、海外の航空ショーは、あとにも先にもこのオシアナだけ。
友人とわたしの飛行機への思い、双方の奥さんの旅行気分と遊び心、それに “トムキャット ラスト・フライト” というキーワードがシンクロして実現した。
渡米とはいえ、観光なんてホテル付近を散歩しただけ。それ以外2日半、基地の中で過ごした。でも、奥さん方も楽しんだ。それほど“本場”の航空ショーは面白い。
国内の航空ショーとはスケールが違う。違いの一例は、国内の航空ショーは見上げて飛行機を見るけれど、“本場”は見上げなくても、ほぼ正面目線を飛行機が飛ぶ。
「次のフライトは何時からか…」なんて待っている時間なんてまったくない。F86セイバーやファントム、スーパーホーネットなどなど、とにかく何かが飛んでいる。
“ライブで観た”と書いたが、まじでLive!。飛行機たちの演技にDJがつく。映画「TOP GUN」の「Danger Zone」が基地内に流れると、「君たち、トムが見たいか!(もちろん英語で)」とDJが叫ぶ。それに答えて群衆が「イエィ!]と絶叫する。
「Come On! Tom!」。はるか遠くに点に見えたトムキャットが、一瞬にして目の前に。興奮するジェット・サウンドを響かせて、踊るように身体を振りながら目の高さを通過する。鳥肌が収まらない。
“トリ”が「Blue Angels」。大空を舞台にした一大スペクタクル・ショー。うわっ、すっごくベタな表現。そういわれても仕方がない。筆舌に尽くしがたい。

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オシアナで撮影した写真
 
オシアナを境に、国内の航空ショーにも行っていない。“本場”を観てから、「国内のはなぁ。」と思うようになってしまった。くどいが、それくらい“本場”は凄い。
けど、最近、少々禁断症状。海外は到底無理だから、久しぶりに国内の航空ショーに行こうか。
千歳基地の航空祭は8月、千歳には「政府専用機」がいる。一度間近で見てみたい。近場なら、茨城の百里基地。ここは確か10月。ただ、渋滞と人ごみ。イベントが観づらいマナーの悪さ。それらを思うと腰が引ける。

「大脱走ごっこ」Hiltsの愛機

「ヒルツの愛機はなんだったのだろう?」
彼が撃墜されたとき、どんな飛行機に乗っていたんだろう。
ヒルツにA-2を着せてポーズをとらせたり、“自慢”の改造バイク「大脱走モデル」に跨らせたりするうちに、すごく気になりだした。

ヒルツはアメリカ陸軍航空隊の大尉。収容所の所長に向かって「大尉だ!」と襟章を見せるシーンがある。撃墜され捕虜になった。

「大脱走」は事実をもとに制作された映画で、舞台のモデルは、実在し、実際に大脱走が敢行された「第三航空兵捕虜収容所」。「スタラグ・ルフト III(Stalag Luft III)といい、第二次世界大戦中、ドイツ空軍が運営していた。捕虜となった航空機搭乗員が収容されたのだそう。
ベルリンの南東160kmで、現在のポーランドのジャガンという街の近郊にあったらしい。

ヒルツのモデルも実在した。
「デイビッド・ジョーンズ:David Mudgett Jones」という人。
アメリカ軍のパイロットで、2年半の間スタラグ・ルフト IIIに収容されていた。
製作40周年記念として2002年に発売されたDVD「大脱走・特別編」に特典映像として「真実のヒルツ大尉」という23分のドキュメンタリーが収録されている。
デイビッド・ジョーンズ本人が自分の経歴と「大脱走」とのかかわりを語っている。
彼は1913年に生まれ2008年になくなっているから、享年95歳。おぉう、長生きぃ。

彼は「ドゥリットル空襲:Doolittle Raid」の主要メンバーだった。
ドゥリットル空襲は、1942年4月18日、アメリカ軍が行った日本本土への最初の空襲。航空母艦「ホーネット」から陸軍航空軍の「B25ミッチェル」爆撃機を発艦させて行った。
指揮官はジミー・ドゥリットル中佐。16機の「B25」で日本本土を襲った。
デイビッド・ジョーンズ大尉は、5番機の機長。
英語版Wikipediaには、5番機クルーの集合写真が掲載されていて、彼は前列に写っている。
Doolittle Tokyo Raiders, Crew No. 5。95th Bombardment Squadron, front row: David M. Jones, pilot; Captとある。

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 B25 Mitchell  1/48  ITALERI

映画のヒーローのことを興味本位で調べ始め、遠い“ヨーロッパ戦線”から思わぬ“日本本土空襲”に話が及んだ。
とたんに少し気分が重くなる。数年前に行った「パールハーバー」で感じた複雑な気分が蘇る。
アメリカ軍対ドイツ軍の話は “遠いところの話”。映画のようにさえ感じ、他人事この上ない。けど、対日本となるとやっぱり身近に感じて、いろんなところに思考が及ぶ。
とはいっても自分は“戦争を知らない子供たち”。戦争は「非日常」。B25ってかっこいいなあ、なんて無邪気に言ってしまう。戦闘機を飾って楽しんでいる。いいかげんなもんだ。

ヒルツ大尉のモデルに話を戻す。
1942年9月、デイビッド・ジョーンズは第319爆撃隊に指揮官として北アフリカに赴任した。
そして、チュニジアのビゼルト空港の爆撃に出撃し、“On December 4, 1942, he was shot down over Bizerte, North Africa”。
“shot down” は米俗語。つまり、撃墜されたということ。本人いわく「左のエンジンを撃たれた。ふたつの丘のはざまにつっこんだため、翼が折れた状態で機体が地を滑った」。
そして、捕獲され「スタラグ・ルフト III」に送られて、「大脱走」作戦に加わった。
航空軍第319爆撃隊に配備されていたのは、「B26マローダー」という爆撃機。愛称のマローダー(Marauder)とは“略奪”という意味。
“高性能な爆撃機が欲しい” という軍からの要請で、ノースアメリカン社が開発したのが「B25」。愛称はミッチェル(Mitchell)で陸軍のミッチェル准将の名前からつけられた。
そして同じ要請で同時期にマーチン社が開発したのが「B26マローダー 」。

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 B26マローダー Wikipediaから引用

第319爆撃隊の配備機がB26だということは、ネットを探索して知った。
DVDの中でデイビッドは機種名を伝えていないが、「撃墜された」という件(くだり)の映像にB26が使われている。
それに、2000年に初版第1刷が大日本絵画から発行された「コックピット 第2次大戦軍用機インテリア写真集」に、「北アフリカ上陸の“トーチ作戦”の後、第12空軍の第17、319、320の各爆撃航空群がB26を運用した。」とある。まず間違いない。 

“実話にもとづく” ということに沿って結論付ければ、ヒルツの愛機は、「ミッチェル」か「マローダー」。
どっちが好きだったかはわからない。
DVDの中で「(Doolittle Tokyo Raidersに)選ばれれば、あのB25に乗れる」と話しているから、若い頃憧れたことは間違いない。
撃墜されたときに乗っていたのは「マローダー」。

こうやって、それほど時間をかけずに調べられるのはインターネットのおかげ。趣味生活にインターネットは欠かせない。

う〜ん、でもなぁ。どうも個人的にはしっくり来ない。
ヒルツのあの雰囲気、一匹狼的でやんちゃな感じ。“爆撃機の機長”ってふうにはどうしても思えない。
やっぱり戦闘機が似合うよなあ。ドイツ本土空襲のB17を護衛した「P47サンダーボルト」か「P51ムスタング」がいい感じ。
A-2とスウェット、トラウザースを“おしゃれ”に着こなし、トライアンフを駆るあの感じから言うと「ムスタング」が似合うかも。
おぉ、そうだ。マックイーンの主演映画「ブリット」の有名なカーアクションは「1968年式フォード・ムスタング」。ムスタング違い。

P51の頭のPはPursuit(追撃)で戦闘機を意味する。“追撃”なんて、まさにマックイーン・ヒルツにぴったりな感じ。

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ヒルツの搭乗姿はこんな感じか モニター画面はP51ムスタング
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うん、よし。ヒルツの愛機は「ノースアメリカンP51ムスタング(Mustang)」ということにしよう。
ただ、我が格納庫(My Hangar)にはまだムスタングの配備がない。いずれ配備しなければ。「大脱走ごっこ」は楽しいなぁ。

Mickey Mouse

昨年の大晦日、といってもまだ数日前のことだけど、「紅白歌合戦」にミッキーが出た。ミニーもドナルドも、チップとデールもいた。
テレビ番組の「ディズニーランド」にわくわくした世代だから、いい歳になった今でも「ミッキー」と聞くだけで心が躍る。

「ディズニーランド(Disneyland)」というテレビ番組は、アメリカで1954年から1958年まで、アメリカで放送された番組。日本では1958年8月29日 - 1972年4月30日まで日本テレビ系列で放送されていた。(Wikipedia情報)
アメリカではタイトルやネットワークを変更しながら2008年まで放送されていたとWikipediaで知ってびっくりした。

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ティンカーベルが飛んできて妖精の粉を振りまく。タイトルが現れて番組が始まる。ウォルト・ディズニーが登場して、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つの国の中から、毎回一つの国をとりあげ、それに関連した内容を紹介するというもの。確か1時間番組だったと思う。
ミッキーたちキャラクターが登場するアニメであったり、テーマパーク開発の裏側を紹介する番組であったり、科学技術や自然界を紹介するドキュメンタリーがあったりした。
今も世界のディズニーパークのアトラクションなどで活躍しているロボット「オーディオアニマトロニクス(Audio-Animatronics)」というロボットも、この番組で紹介されていた。オーディオアニマトロニクスとは「Audio:音」プラス「Animation:動き」プラス「Electronics:電子」の造語。コンピュータで音楽に合わせてロボットを動かす。
新婚旅行で行ったアナハイムの「ディズニーランド」で、初めて、音楽に合わせて歌って踊る海賊たちと実際に出会えたときには、鳥肌がたった。

「今日、東京ディズニーランドに行っている人たちはかわいそうだね。だって、ミッキーたちは今、紅白の会場にいるんだから、ランドにはいないんだもんね。」
そんな無邪気なことを奥さんと話しながら、アイドル歌手や有名子役たち大勢と一緒に踊るミッキーを見て、あらためてウォルト・ディズニーの創造力の凄さに思いを馳せた。

ウォルト・ディズニーは、映画やコミックスという2次元の中で活躍していたミッキーと、3次元の世界で生きる我々を握手させた。握手どころか、抱き合い、キスさえもする。
 映画という2次元の世界でミッキーをどんどんと我々人間に近づけ、「ディズニーランド」を作って、われわれに2次元の世界を体験をさせた。我々はそのバーチャル世界の虜になって、疑似が疑似ではなくなって、3次元の「ディズニーランド」で歌って踊るミッキーを“本物”と思うようになった。

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MEDICOM TOYのMickeyと講談社刊「ミッキーマウス・トレジャーズ」
 
はじめてスクリーンで口笛を吹いた白黒のミッキーと、魔法使いの弟子になったミッキーとは明らかに姿も動きも違うことはもちろん知っている。1955年、アナハイムの「ディズニーランド」が開園したときのミッキーと、いま「東京ディズニーシー」にいるミッキーとは明らかに違うことも知っている。
ましてや、アニメーションのミッキーとテーマパークのミッキーの違いは…なんてあえて言うかって感じ。
そんな細かいことにはこだわらない。それはあえて言うならミッキーの経歴。履歴書に書くこと。
今やミッキーは“人格”を持った。 

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HOW2WORK社 Mickey Mouse 1/6アクション・フィギュア  

ミッキー・マウスはひとりしかいません。
自分と同じ人がもう一人どこかにいたら怖い。それと同じ。
うん、うん。
「東京ディズニーランド」と「東京ディズニーシー」で同時にミッキーがキャストと握手をしていることなどありえない。なぜなら、一人だから。
そりゃそうだ。
「ミッキーが紅白に出てる時、ランドやシーにいた人たちはミッキーに会えなかったね。」
「いや、そうじゃない。あの時間、パークは閉まってました。」
「えっ?」
そうだった。ちょうどあの時間は、カウントダウン・イベントのために一時閉園している時間だったんだ。脱帽!

昨年、ハワイにオープンしたディズニーのホテル「アウラニ・ディズニー・リゾート&スパ」に行った。幸運にもグランド・オープンの時だった。
ほぼ1週間かけて行われたイベントのリハーサルをほぼ始終見ることができた。ディズニー・カンパニーCEOのボブ・アイガー氏が来ていた。遠目ながらその姿を見られて、ちょっと嬉しかった。
リハーサルにミッキーも参加していた。待ち時間の手持ち無沙汰なミッキーを見た。リハーサルでさえ仕草がやっぱりミッキーなのだ。

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Aulani Disney Resort & Spa のMuckey   “いないいないばぁ” 

2次元で生まれたミッキーは、いまや3次元でわれわれと共存している。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンにいくとスヌーピーがいる。サンリオ・ピューロ・ランドにはキティちゃんがいる。
それぞれのファンにどつかれるかもしれないが、彼や彼女はやっぱり“着ぐるみ”。ミッキーは明らかに違う。
ミッキーは人格を持つ。われわれはその“錯覚”を好んで受け入れる。
われわれが好んで錯覚を受け入れられる世界をディズニーは作った。

ウォルト・ディズニーの創造へのこだわりがその世界を生んだ。ウォルトは凄い!
あばたもえくぼ。だれがどう言おうと自分はウォルト・ディズニーの信奉者。
“3次元ミッキー”をテーマに格好よく客観的にディズニー評を書くつもりが、やはり無理だった。 

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「大脱走ごっこ」その3

ヒルツが収容所に収監されたときの1シーンの再現。

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アビエイターバッグを作ってみた。
かなり以前に買っておいたいい感じの色の布と、程よい幅の布テープ。
本当はミシンを使って裁縫し、縫い目なんかが表現できればベストなんだけど、自分にミシンは無理。
布用のボンドを使って接着し、成形した。だから、それなりの出来。

アビエイター(Aviator)とは、「飛行機の操縦士」の意味。
アビエイターバッグは、正式名にはフライヤーズキットバッグといって、米空、陸軍で採用され、フライト装備やパラシュートなどを入れて運ぶのに使用されている汎用バック。
劇中でヒルツが何を入れているか、すべては分らないけど、まちがいなく野球のグローブとボールは入っている。

バックの横には名前「V.HILTS」と認識番号「0817218」が「ステンシル」で書かれている。
認識番号は、軍隊において個人を識別するための番号で、ジュネーヴ諸条約の条文に「個人番号又は登録番号(personal or serial number)」と記されているのだそうだ。
劇中の番号はどこからつけたんだろう。なにか意味があるのかなぁ。例えば、ヒルツのモデルになったという人の実際の認識番号だとか。考えすぎか。

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 TOYS M.COY  TYPE A-2 V.HILTSを 購入したときに付録でついてきたヒルツのアビエイターバッグ(実物大)

「ステンシル」は、印刷などで用いる一種の型紙。文字や模様の部分を切り抜き、その部分にインクが付着するようにしたもの。型を抜く際に、たとえば「0」や「8」など、真ん中の部分が抜けてしまわないようにつながりの部分を線状に残す。
この型を印刷したい部分にあててインクをスプレーなどで吹き付けると、繋がりの部分にはインクがつかないため、線状に切断されたような独特の書体になる。
印刷構造上の理由から生まれたこの切断された書体のことも「ステンシル」と呼ぶ。
戦闘機や戦車などの国名や番号表記、弾薬保管箱や装備ケースなどへの必要事項表記などに使われて、軍用の専用文字みたいになった。
このステンシルで文字を印刷するだけで、単なる木箱がアメリカっぽいミリタリーグッズに早代わりする。
けっして意図的にデザインされたはなく、必要に迫られて出来上がった書体なのに、使われ方によって、“かっこいい”書体になった。
所ジョージさんが「世田谷ベース」で好んで使っている。「ベース」は「基地」のこと。「横須賀ベース」の「ベース」。ネーミングがかっこよく、それを「SETAGAYA BASE」とステンシルで表記する。いい感じ。にくいなぁ。

そういえば「VANジャケット」のロゴもたぶんステンシルからの発送。ふむふむ、やっぱりアメリカっぽく見える。

ちなみに、作ったアビエイターバックの文字はステンシルではなく、インクジェットで印刷して水で貼り付ける“簡易タトゥ製作シール”で作って貼り付けた。
まてよ。考えてみたら、型紙をつくってステンシルで表記することも、そうそう難しくないかも。でも、それをするならやっぱりバッグ自体も裁縫で作りたい。
A-2をつくってくれたbe-conさんにお願いしてみようかなぁ

「大脱走ごっこ」その2

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逃走途中、道路わきの木造倉庫に隠れ、追っ手を向かえ撃とうとするシーン。
銃を構え、狙いを定める。が、かえって自分の所在を明らかにすることになると思い、発砲を思いとどまった。
そして、捕獲されたときスパイ容疑をかけられることを恐れて、着ていたドイツ軍服を脱ぐ。
紺のスウェットにオフホワイトのトラウザースでバイクに跨り、再び走り出す。
ヒルツ逃走劇にかかせないシーンの一つ。

板壁の画像を「Photoshop」で加工し、出力してスチレンボードに貼って、木造倉庫を再現してみた。

いまさら言うまでもないが、アドビ社の「Photoshop」というアプリケーションは凄い。これをつかえなければ、画像や映像を扱うクリエータとは言えない。
1987年に、アメリカの大学生のトーマス・ノールという人が開発した。。
弟のジョン・ノールがその開発に関わり、Image Pro というアプリケーションが完成。ジョンがこれをアドビ社の社員にみせたことで、商品化されて、1990年に「Photoshop1.0」が発売された。

ちなみに、ジョン・ノールは当時、インダストリアル・ライト&マジックの画像編集部門の社員。
インダストリアル・ライト&マジック(ILM)は、1975年7月、当時『スター・ウォーズ』を作ろうとしていたジョージ・ルーカスが、新しい特殊効果を開発するため、ロサンゼルスの郊外に開設した。
「スターウォーズ」シリーズや、「インディ・ジョーンズ」、「ハリーポッター」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」など、多くの大ヒット作のVFXを制作している。

今回掲載した写真、実は「Photoshop」を使って少し“ズル”をした。
ヒルツに銃を構えるポーズをとらせると、衣装サイズがうまく合っていないせいか、袖がひじの手前辺りまでかなりめくれてしまう。
また、右肩に出来る衣装のしわがかなり不自然なかたちになってしまう。フィギュア素体の構造上からすれば、自然にできる窮屈なしわだけど、実物の人間のポーズと比べて、不自然なのだ。
襟の部分も浮き上がって、首が短く見える。
そこで、それらの部分を「Photoshop」で修正した。本来なら、素体を改造し、衣装に手を加えて、自然に見えるようにすべきなのかもしれないが、撮影画像を完成形だと割り切って、“科学技術”に頼るのも“カスタム”と呼ぶことにしよう。

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カメラで撮影する時、被写界深度や広角レンズの歪曲収差などで、遠近感が強調されて、実際に見るよりもいい感じに映ることがある。照明を考え、露出を検討し、レンズを選ぶ。これも“カスタム”の大事な要素。
 
いろんなことを試行錯誤。「大脱走ごっこ」は楽しい。

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「大脱走ごっこ」その1

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ドイツの軍服を着せてみた。
 
ヒルツはトンネルで脱走した後、道路に針金を張ってドイツ軍のバイクを転倒させる。
気絶したライダーから軍服を奪ってドイツ兵になりすますと、バイクにまたがってスイスとの国境をを目指す。
道中、ドイツ軍の駐留地に入り込んでしまい、ひとりの兵士から声を掛けられる。
バイクのままその兵士に近づくが、ドイツ語が分らず、その兵士を蹴り飛ばして、逃走する。
数台のバイクと機関銃を装備したサイドカーがヒルツの後を追う。

ここからのヒルツの逃走シーンの数々がいわずと知れた名シーン。
途中でドイツの軍服は脱ぎ捨て、紺色のスウェットとオフホワイトのトラウザースでトライアンフを駆る。
マックイーンの人気を決定付けた。虜になった。
背景に山脈の見える雄大な丘陵地を、トライアンフで軽快に走り回る。バイク好きには堪らない。
極め付けは鉄条網のジャンプ。
もう一つ飛び越えればスイス。
射撃され、転倒し鉄条網に突っ込む。
鉄条網が身体に絡みついたまま立ち上がり、「ドッグタグ(認識票)」を見せる。このシーンでドッグタグに憧れた。
まぁ、とにかく、どのシーンもかっこいい。

「ドッグタグ」はアメリカのスラング。
金属製の楕円形のプレートで、氏名や認識番号、血液型等が打刻され、個人を識別するためのもの。
第一次世界大戦頃に使用されていいたものが、丸いディスク型で、犬につける鑑札札に似ていたところから、DOGTAG(犬の札)という俗称が生まれたらしい。
2枚一組で首に提げる。本人が戦死した場合等に同僚が1枚を持ち帰り、戦死した場所等を報告するためなんだそうで、この「〜1枚を持ち帰り〜」と言うのは、ちゃんとジュネーブ第1条約に規定されているのだそうだ。

ああ、そうか、忘れてた。1/6のドッグタグもつくらなきゃ。

「大脱走ごっこ」は1/6のヒルツのフィギュアや「大脱走トライアンフ」を使って、「大脱走」のシーンを再現する遊び。

「大脱走ごっこ」その1は、ドイツの軍服を着てバイクにまたがるシーンを再現。
劇中ではバイクにまたがって静止しているシーンはほとんどなく、宣伝用に撮られたであろう写真を再現してみた。
シート後ろの荷台に、たぶん脱いだスウェットであろう荷物が縛り付けてある。一応それも再現してみた。

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「大脱走ごっこ」

1/6、12インチのアクションフィギュアの原点はGIジョー。
GIジョーは、いってみれば男の子の着せ替え人形。

TVドラマの「コンバット」が1962年から1967年まで放送された。
「ウルトラQ」が 1966年1月2日から7月3日まで放送された。それに続いて「ウルトラマン」が1966年7月17日から1967年4月9日まで放送された。
TVドラマの「サンダーバード」が1966年4月10日から1967年4月2日まで放送された。
「GIジョー」が日本で販売開始されたのが、1966年。

ゴジラ映画を映画館で始めて観たのは『三大怪獣 地球最大の決戦』で、公開が1964年12月。
着ぐるみのゴジラを50mに見立ててスケールダウンされた街並みや自衛隊の戦闘車両。ラジコンで走り回る戦車を怪獣たちが踏みつける。当時だって本物には到底見えず、でも、なぜかそこに“リアル”さを感じてわくわくした。
「特撮」とは、模型を使っていかに本物「らしく」みせるかという技術で、円谷英二はその神様なんだと思っていた。円谷プロで働きたい。街並みやラジコン戦車を作る仕事がしたいと本気で思った。

円谷の「特撮」から技術が進んで、「SFX( Special Effects )」と呼ばれるようになり、映像に光学処理などによって特殊な視覚効果を施し、通常ではあり得ない映像を作り出すことが可能となった。
そして今や、コンピュータ・グラフィックスの進歩で、映像を後から“どんなふうにでも”加工できるVFX(Visual Effects, 視覚効果)があたりまえになった。
本物「らしく」ではなく、本物「以上」に、いや、「本物を超えた」映像がどんどん作れるようになった。
「かつて見たことの無い映像」なんていう言葉さえ過去の言葉。

でも、「STARWARS」の少年アナキンのポッドレースのシーンより、エンドアのスピーダーバイクのシーンのほうが好きだし、マイケル・ベイの「パールハーバー」でのゼロ戦とカーチスのドッグファイトより、円谷英二の「ハワイ・マレー沖海戦」での釣り糸が見えるゼロ戦の飛行シーンの方がわくわくする。もちろん、ジャン・レノが出た「GODZILLA」は「ゴジラ」じゃない。やっぱりVFXでなくSFXでもない「特撮」の匂いを求めてしまうのは、1960年代に少年期を過ごしたからだと思う。

「ウルトラQ」がカラー化されて、思わずBlu-rayを買ってしまった。第1話の「ゴメスを倒せ」を観た。
ゴメスが地上に現れ、石垣を崩すシーンを見て、当時砂場で遊んだ「怪獣ごっこ」を思い出した。砂山を造ってトンネルを掘り、「マッチボックス」製の車を並べて、怪獣になりきった。「ぁああ〜んっ(怪獣の鳴き声のつもり)」と叫んで山を崩す。
「怪獣ごっこ」はますます加熱して、砂場に水を持ち込み、池や川をつくって船を浮かべた。小さな木の枝を砂に差して並べて街路樹を再現し、厚紙で作ったビルを並べた。きっとこの時ジオラマ制作への憧れが芽生えたんだと思う。

「コンバット」がかっこいいと思った。「サンダーバード」で、精密に作られた1号や2号に乗って人形がリアルに活躍するのを見た。同時期に、デパートのショーウインドウの中に展開されたGIジョーの世界に魅了され、X’マスに買って貰った。
 
学校脇の公園の小山に塹壕を掘り、友達とGIジョーを並べた。GIジョーを使ったコンバットごっこ。自分のGIジョーを「コンバット」のサンダース軍曹に見立てた。トンプソン・サブマシンガンが欲しかった。M41フィールド・ジャケットが欲しかった。番組の放送中に母親に示して、似て非なるものを縫製してもらった。着せ替えて楽しんだ。
 
着せ替えに熱中した。時には、妹のリカちゃん人形とコラボレーション。リカちゃんのままごと遊びにGIジョーが参加した不思議な“ごっこ遊び”。
GIジョーは、自分のおもちゃ暦の中のエポック・メイキング。いまだにそれを引き摺っている。

50年近くたった今、「1/6計画」進行中。再びアクションフィギュアを楽しんでいる。
ちなみに「1/6計画」は、「ウルトラQ」の第17話「1/8計画」からとった。
「1/8計画」は、東京の人口問題を解決するために、人間を1/8に縮めようという計画の物語。
 
アクションフィギュアの原点はGIジョーで、GIジョーは着せ替え人形。
カスタムしても、やっぱり着せ替えて楽しみたいというのが“こだわり”。

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「トライアンフ」が完成して、ヒルツ大尉を乗せてみた。なかなかいい感じ。
こうなりゃ、背景や小物なんかも作ってみるか。
飾るだけでは面白くない。いろんなポーズをとらせ、映画のシーンを再現する、「大脱走ごっこ」を楽しもう。

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A-2が好き

革ジャンが好き、ミリタリーファッションが好き、映画が好き、戦争映画が好き、大脱走が好き、スティーブ・マックイーンが好き、オートバイが好き…。こんな人たちは、きっとA-2が好きなんだろうと思う。斯く言う自分はすべてに当てはまる。

ちなみに、所有する免許証では原付しか運転できないが、オートバイが好きなことに支障はないはず。いまさらの免許取得はまわりが許さない。

ずっと憧れ、初めて手に入れた
A-2が、岡本博プロデュースの「TOYS McCOY タイプA-2 V.HILTSモデル」。
トイズ・マッコイのWebサイトには次のように紹介されている。
「時代を超越してタフな男の象徴として語り継がれている『大脱走』のヴァージル・ヒルツ。スティーヴ・マックィーン扮する不屈の男が纏うA-2に魅せられた岡本博監修の元、劇中のA-2を徹底的に研究し、ディテールから革質まで余すことなく再現した一着。」

前述の…好きがすべてあてはまる自分は、完全に岡本さんの術中にはまった。

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革ジャンなんてまさに普段着。

けっこういいスーツが買えてしまう。サラリーマンの自分にとっては、清水の舞台から飛び降りる出費。でも、欲しいから飛び降りてしまった。

飛び降りてよかった。袖を通すなり、その着心地のよさに感激。本物の良さを実感した。以来、秋から冬が待ち遠しく、着たまま寝ようかと思うほど気に入っている。

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映画『大脱走』といえば、A-2とトライアンフだと言い切ってもたぶん文句は出ないはず。
そのどちらもが、マックイーンなくしてはあり得なかった。大脱走、イコール、マックイーン。
もちろん、それだけではない魅力の詰まった最高の映画。
劇中でマックイーンのA-2の着こなしが堪らない。ジッパーが閉まらないくらいタイトに着て、背中の丈を少し詰めて加工したんだそう。だからシルエットがかっこいい。インナーにもこだわって、紺系のスウェットは袖がはみ出ないよう七分丈にカットし、細身にカスタムしてあるらしい。
生成りのトラウザースとの色あわせもすごく良くて、たぶん歴史公証的にはNGなのだろうが、何の違和感もない。それどころか、何度も言うけどかっこいい。

ヒルツ・モデルのA-2を着て、紺系のスウェットにチノパン。アイビーの雰囲気もあって、いい感じで着れる。
でも、よく考えたら映画の「コスプレ」。歳を考えろと娘に一喝された。
ちなみに、トイズ・マッコイでは、スウェットもチノパンも、ブーツまでも劇中のものを再現して商品化している。

かなりまえ、トイズ・マッコイが劇中のマックイーンをGIジョー化して発売した。
かなりこだわって、A-2など、本革を使用して木製のケースに入れて別売した。別売のA-2だけで、たしか3万円以上したと記憶している。
当時は垂涎でフィギュアだけは手に入れたが、今見るとやはりGIジョーの域を超えていない。
進化の過程であったから、しょうがない。その過程があって、6分の1フィギュアは今のように進化した。

その進化した6分の1フィギュアをより完成度高くカスタマイズする作家がいることを知った。
team MATSU@BEという。

チームを構成するのは、MATSUYAランドさんとbe-conさんのお二人。
彼らの作品のクオリティの高さは ★be-com.shop★ というホームページを見れば分る。

http://www.be-comshop.jp/


6分の1(12インチ)サイズのミリタリーフィギュアの軍装・装備品を手作り販売し、作品紹介等を行っているホームページ。
あのクオリティのものを商品化しているのもすごい。
もうかなり前だが、このサイトを偶然知って、映画「プライベート・ライアン」のミラー大尉の装備一式を注文した。商品が届いてそのこだわりと完成度に驚いた。以来、「商品」ではなく「作品」と言うことにしている。

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作品の中に大脱走のA-2やスウェット、トラウザースがあることを知り、いてもたってもいられず、だめもとで制作をお願いした。

思いもよらず快諾を得た。届いた作品に再び感動。刺激され、「大脱走バイク1/6を作る」自己満足プロジェクトに繋がった。

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大脱走のバイク1/6を作る10


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今年の5月下旬に制作を開始。
5か月をかけた「大脱走のバイク1/6を作る」計画。
一応完成した。
現在、放心状態。

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ニューレイ社の6分の1の「トライアンフ・ボンビネル」の存在を知った時、キャプテン・ヒルツのフィギュアをバイクに乗せたいと始めた改造作業。
ミニチャンプス・ブランドの12分の1「Triumph TR6. The Great Escape. 1960」を見本にしながら始めた。
作業が進み、映画のワンシーンやトライアンフのパーツ画像など、Webサイト上の参考画像収集が加熱した。ミニチャンプスの
12分の1と実物に違う部分があることも気づいて、自分の製作能力の出来る範囲で、なるべく実物どおり再現したいとこだわり始めてしまった。
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一つひとつのパーツ作りに凝り始め、いつ出来上がるのかなども気にならなくなった。
ある程度出来上がってから、実物とのちがいに気づいて作り直すということも頻繁になった。
もちろん、実物のトライアンフが目の前にある訳でもなく、映画のシーンの写真もかなり限られて、推測部分もかなりある。いや、ほとんどが推測部分であるから、実物通りになんていう大それた目標は自己満足の域を超えていない。あくまでも、“
自分の製作能力の出来る範囲で”プラス“確認または推測できる範囲で”である。
それでも、作業して行くうちに、思ったよりうまく出来たなんてことも増え、製作能力も少しずつ上がった。それが、こだわりを増幅させ、こんなに根気づよかったのかと自分でも驚くほど、5か月間、熱中させた。

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自分的にはかなり満足。
けっこういい感じで仕上がったと思っている。
もとになったニューレイ社のボンビネルを解体し、手を入れなかったパーツはタイヤをのぞいて一つもない。プラ粘土やプラ版で手作りしたパーツもいくつかある。
そう、タイヤだけは手が出なかった。実際はオフロード・タイヤで、映画ではそのゴツさが印象的でかっこいい。ボンビネルはオフロード・タイヤではない。なんとかできないだろうか、どっかに6分の1のオフロード・タイヤはないかと必死に探したが、現時点では見つからず、ゴム成型の技術もなく断念。それだけが悔しい。

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シートも推測。映画のバイクはシートが薄いブルーかグレーの布で包んである。
草原を走り回り、大ジャンプをしたときの衝撃を考えて、革製のシートにクッション材を巻き、布で包んだのだそうだ。
だから、どんなシートが付けられていたのか分からない。
トイズ・マッコイの代表でイラストレーターである岡本博さんが所有している映画仕様のレプリカを参考にした。プラ粘土で整形し、革を巻き、スプリングも針金を巻いた。
これにスポンジを巻き、布のカバーを作って被せるつもり。

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ナンバープレートの字体は映画シーンの画像をトレースした。
バッテリーも映画製作当時に使われていたバッテリーの画像を参考に再現したつもり。固定用の金具もいい感じに出来たと気に入っている。
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ハンドル・グリップも自己満足のこだわり。
左ハンドルは先端のゴムが欠けている。写真からそう判断して、こだわってみた。
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ヒルツに跨がってもらい、その勇姿を眺めながら、「大脱走マーチ」をBGMに、5か月のこだわりの日々を想って、ビールを飲む。最高に旨い。