その他の話

It’s been a long time

一日が短い。
やりたいこと、いっぱいあるのに時間には制約がある。
一日24時間。
で、睡眠は最低でも6時間は欲しい。 
若い頃は3時間寝れば結構大丈夫だったけど、歳には勝てない。
とすると、24時間から6時間を引くと、18時間。
で、仕事に拘束される時間がだいたい毎日9時間平均。
通勤は往復で20分程度。それに、食事をしたり、風呂に入っったりの生活に必要な時間を加えて、ざっと4時間くらいと見積もる。
よって、18 ひく9ひく4は、5時間。

1日に、5時間しか趣味に没頭出来る時間がない。
世間的には、5時間しか、じゃなくて、5時間もだ。
5時間もとれるなんて、単身赴任の優雅な生活ゆえだからだ。

毎日5時間も好きな事ができるなんて、こんな贅沢なことはないと、特に奥さんには感謝している。

でも、やっぱり “5時間しか” だ。
もっともっと時間が欲しい。
やりたいことがいっぱいある。
手掛けなきゃいけない模型制作計画が溜まりに溜まっている。

1/87のアメリカングラフィティ計画も、黄色のT型フォードの制作途中で頓挫している。
突然、急にPhotoshopが気になりだし、ComicStudioというアプリで漫画を描こうかと思い立ち、アプリの操作習得にのめり込んでしまった。
だから、趣味部屋にならべた2つのデスクのうち、スプレーブースを設置した模型専用デスクには、ここ数ヶ月座っていない。
部屋に入るやいなや、Macを立ち上げ、モニターを置いたデザイン専用デスクに向かっている。

そのせいか、視力もかなり落ちてきた。。。

おかげで、このブログの更新もパタッと止まってしまった。

かなり前から制作がストップし、放置状態になっている「ゼムケのP47 1/18を作る計画のP47の機体が気になる。メルクリンのわが鉄道会社も数ヶ月運行していない。

注文してあった「二郎の鳥型飛行機」1/48が届いた。映画「風立ちぬ」に出てきたやつ。
映画に感動して思わず予約注文した。

いったいいつ作るんだ。
昨晩、そんなことを考え出してなかなか寝付けなかった。
ブログも更新しなきゃとも気になって、「明日は更新しよう」と思った。
ああ、5時間でもぜんぜん足りない。
「おれには仕事なんかしている時間はないのだ!」と心の中で叫んだら、寝付けた。

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ファインモールド製 「二郎の鳥型飛行機」1/48

TAMIYAのロゴ・マーク

少し前になるが、富士宮まで行った帰り、新東名の静岡SAに寄った。
静岡SA(サービスエリア)、正式名称は「NEOPASA(ネオパーサ)静岡」というらしい。

トイレ休憩のためになにげなく立ち寄って、思いがけず嬉しくなった。
なんと「ガンダム」と「タミヤ」の商品を並べたコーナーがある。知らなかった。きっと、好き者たちには有名なんだろうなぁ。
静岡といえば、ガンプラの工場があるし、タミヤの本社もある。なるほど「静岡の特産品」なんだと頷いた。

で、つい手に取って買ってしまった。「TAMIYA」のロゴ・マーク、あの
のプリントされたTシャツ。珍しい物でもなく、いまさら、という感じだが、思いがけず出会ったプチ感動と、最近、ミュージシャンがTVで着ているのをよく見ていたから湧いた、ミーハー的物欲。

tamiya_t

この
は、すごい。見るだけでワクワクする。
このマーク、必ず模型店の店先には掲示されている。このマークを見れば、そこに模型がある。タミヤのマークというより、模型店の地図記号みたい。
どこの街に行っても、必ず目につくといっていいくらい。以前、島根県の宍道湖に旅行に行った時、宿のすぐそばにこのマークがあった。けっこう情緒のある観光地的商店街。「まさかこんな街並にこのマークが」と言う感じで、冷静に見れば違和感がある。 
「なにもここまで来て…」という奥さんの文句を無視して、吸い込まれるように中に入った。壁に無造作に模型を積んだ、昔ながらの“模型屋さん”。しばし時を忘れた。店内の景色は今も忘れない、旅の想い出。

全国の模型店はどれくらいあるんだろう。
Webで探ったら、「模型店の多い県のベスト10」なるページを見つけた。
模型店の定義の記載を見つけられず、データの根拠もあやふやだから、正確かどうかはわからない。
その記事によると、模型店が一番多い県は東京都だそうで、これは納得。次がなんと愛知県だそう。我が出身県で、ちょっと嬉しい。だから、模型好きに育ってしまったのかも。ガンプラ工場やタミヤのある静岡はベスト10に入っていない。

とにかく、数字はどうであれ、
マークは全国の街のどこかしらにあるし、このマークのついたパッケージは、男子なら一度は興味の対象として手にしたことがあるはず。“憧れ”の象徴ともいうべきマーク。

Wikipediaによると、タミヤがプラモデルを初めて発売するとき、田宮俊作(義雄の子、後に社長。現会長)が、新しいマークを、当時東京芸術大学デザイン科の学生だった弟の田宮督夫(まさお)にデザインさせた。そして誕生したのが「星のマーク」なんだとか。当初はマークの周りに英文があしらわれていたが、1960年代のスロットレーシングカー発売のときにデザインを変更、となり、現在のものになった。左側の赤い星は「情熱」右側の青い星は「精密」を表しているんだそう。

有名なエコノミストが、「世界中どこに行っても、このマークが店頭に飾ってあれば、その店は模型店以外の何者でもない」「一企業のマークが業界全体を表すシンボルマークとなっており、このような例は他にない」と指摘しているんだそうで、海外の模型店にも、まず掲出されているし、このマークのついたパッケージは必ずラインナップされている

“憧れ”の象徴模型好きのエンブレム。「ツインスター」というらしいが、自分的には「ワクワクマーク」と呼ぼう。
そんなことをこのブログに書こうと考えていたら、びっくりするタイミングでサプライズ。
なんと友人が 
をデザインしたiPhoneケースをプレゼントしてくれた。いい感じのヤツで感動!
東京の立川にある OJAGA DESIGN というオリジナル革製品を制作販売している会社のもの。「オジャガ」さんという、多分この会社の主宰者であろうデザイナーの趣味がミニ四駆らしく、タミヤとコラボレーションしたものだそう。タミヤのWebサイトの TAMIYA SHOP ONLINEにもノベルティとしてラインナップされている。
最近歳のせいか、iPhoneを裸で持つのが、手を滑らせて落としそうで不安だったが、このケースをつけたら具合のいい大きさになって、革の質感が手にしっくりきていい感じ。超気に入った。プレゼントしてくれたKさん、本当にありがとうございます。 

iphone_tamiya
 

The Beatles と我が家の関係

ポール・マッカートニーが来日する。11年ぶり。

11年前、東京ドームのコンサートを家族4人で見た。
ミュージシャンというよりも歴史上の人物。せっかくだから生きた歴史をこの目で見たい、生の歌声を聴きたい。と思った。
当時、息子も洋楽に興味を持ち、ビートルズを聴いていた。
娘は “軽音部” に所属してドラムを叩いていた。でも聴く曲は日本のバンド。確か、ジュディ・アンド・マリーとかジッタリン・ジンとか。
息子や娘に “本物” を聞かせたいと思った。音楽教育の一環、なんて大仰な理由をつけて、チケットを4枚とった。

バイオリン・ベースを片手で掲げたシルエットがステージ上に浮かび上がった瞬間、身体中が痺れた。釘付けになった。
You say yes, I say no You say stop and I say go, go, go♪ と生の声が響いて、完璧に夢の中に落ちた。5万を超える観衆の全てが落ちた。そう感じた。
ピアノ弾き語りの「Let it Be」で、同時代に生きている “すごさ” を感じた。歴史の一遍に触れた気がした。11年たった今でも鮮明に覚えているあの感動を、的確に伝える言葉がみつからない。

父が一所懸命勧めるから、超有名なミュージシャンだし、とりあえず見ておくか、といった風の娘が、落ちた。
You say yes, I say no の声に取り憑かれた。
彼女の音楽に対する “何か” が変わった。

彼女はビートルズを聴きあさり、詩集を読みあさり、ビートルズが影響を受けた音楽を聴き、ビートルズが影響を与えたミュージシャンたちの音楽を聴いた。

ポールのコンサートの翌々年、家族4人でリバプールに行った。
娘の “いてもたってもいられない” 気持ちを汲んで、彼女の誕生日を挟んだ英国への記念旅行。
家族4人で行けた最高の旅になった。
ポールの生家や、ストロベリーフィルズ、キャバンクラブのレンガなどなど、あのとき4人で見た景色はほんとうに色あせない。

娘は今、音楽業界に就職した。あの時から音楽と離れられなくなったから。
日本でトップクラスの大物女性ミュージシャンのコンサートのメイン・スタッフ。東京ドームでのコンサートも携わった。
なんで娘が…、と今も不思議でならない。
でも、間違いなく、きっかけはポールのコンサート。
あのコンサートに行かなければ、彼女はきっと違う人生を歩んでいる。
「ポールが彼女の人生を変えた」
親バカかもしれないが、そう思っている。

あらから11年目のコンサート、彼女はめちゃくちゃ行きたいに決まっている。
でも、どうも行けそうにないらしい。仕事でスケジュールが会わないらしい。
たまたま日程が重なった。今の仕事をしているが故に休暇をとることも許されない。
めちゃくちゃ残念に違いない。
ただ、ポールのおかげで彼女は音楽業界で今の立場になった。そして、その立場ゆえにその仕事は外せない。もちろんスケールには雲泥の差があれど、ポールと同じ音楽の世界で生きてる。
コンサートに行ける行けないなんて関係を超えて、不思議な縁を感じる。
ポールは彼女の特別の存在。
我が家にとって The Beatles は常に身近にある。

単身赴任生活はiPhoneの時計が目覚まし。
The Beatles の All My Loving で目覚める。  

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趣味部屋の The Beatles のコーナー。
リバプールへの旅行で買った英国土産なども並べている。
John と Ringo の磁器人形は、1987年に英国で10,000set発売された 
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(サージェント・ペッパーズ)の人形。
サージェント・ペッパーズのアルバムは1967年に発売されているから、その20周年を記念して作られたのかしら。ビートルズ
が設立した企業アップル・コア(Apple Corps)のライセンスのもと、Star Shine という会社が製造したらしい。
おおよそ45cm。Johnが約180cmらしいから、スケールは約1/4。
Ringoは、娘と行った国内のビートルズ・グッズ専門店で見つけた。Johnは海外オークション。いつか4人そろえたい。

趣味部屋近況

勤務終了時間は17時15分。
そうそうに仕事を切り上げ、遅くとも45分には職場を退散。
歩いて3分の通勤時間を経て下宿に到着。
バタバタと慌ただしく着替え、流れ作業のように食事、入浴をすませて 趣味部屋に入る。
加齢により、日をまわっての就寝は翌日に響くから、遅くても23時30分には寝ることを心がけている。
だから、19時に入室して床につく23時30分までの4時間半、趣味部屋に籠る。

朝は必ず6時に起きる。手早く、ストレッチ、歯磨き、整髪、朝食をすませ、6時50分には趣味部屋のデスクに腰を下ろす。TVの朝の情報番組(ZIP!)を見聞きし、コーヒーをすすりながら、模型いじりをコツコツ。

朝1時間、夜4時間半、趣味部屋に籠る。ほぼ毎日の日課。
以前には考えられなかった充実の Hobby Life。趣味部屋謳歌!

でも、それでも時間が足りない。
はぁ?っと眉をひそめられそうだが、もっと時間が欲しい。趣味部屋に籠りたい。
「おれには仕事してる暇なんてないんだ!」と叫びたい。ヒンシュクを買うから叫ばないけど本音。

ちょっと前、といっても2ヶ月前、にはじめた「1/87のAmerican Graffiti」の制作も進んでいない。
「大脱走ごっこ」、まだまだネタはあるんだけど年を越えてずっとご無沙汰。
「ゼムケのP47 1/18を作る」プロジェクトも中断したまま。

「インディ親子をドイツ軍のサイドカーに乗せよう」1/6プロジェクト
「ハズブロー製スピーダーバイクをリアルに改造しよう」1/6プロジェクト
「“ラットパトロール”のジープにトロイ軍曹を乗せよう」1/6プロジェクト
「“エンジェルウォーズ”に出てくるB-24リベレーターを作ろう」1/48プロジェクト
「B-17のプラモデルを“戦う翼”のThe-Body仕様にしよう」1/72プロジェクト
「“The Mission”のB-17を再現しちゃおうか」1/72プロジェクト

素材は準備済みだが、手もついていない “わくわく”プロジェクトが山のよう。

趣味部屋鉄道もレールの敷設はとりあえず終わっているが、情景建設はやはり中途半端のまま。
しばらく列車の運行もかまけていた。「かまける」とは「感ける」と書くらしい。
通電の問題から、レールコンディション維持のために、ときどき列車を走らせたほうがいい。
で、久しぶりに走らせたら、やっぱり楽しくなって、プチ嵌り。気分は鉄道模型に。

と、ほかのプロジェクト、模型制作、趣味活動が中断を余儀なくされる。

あぁ、もう時間が足りない!
おれには仕事してる暇なんてないんだ!

こんな気分の中、でもちゃんと毎日仕事に行き、とりあえずなんとか役割を果たしているからたいしたものだ。二足のわらじをちゃんとこなしているのだ。自分を褒めてやろう。「偉い!」。
「パシッ!!」(頬をぶたれた音)

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最近つくった趣味部屋鉄道の路線レイアウトと列車配置図。
Illustrator で作成した。それほど時間がかかったわけではないが、こんなことにも現を抜かすから時間が足りない。


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趣味部屋鉄道の中心となる駅。
情景はモノクロで表現しようと考えた。おもちゃというよりインテリア風にという根拠もない理由から。
カラーをモノクロに置き換えるのは、色の設定がかなり面倒。こんなことに拘るから時間が足りない。

1960年代

趣味部屋用引越し荷物の中から「ジェットモグラ」が出てきた。
いわずとしれた国際救助隊「サンダーバード」の救助用メカ。2号のコンテナに搭載されている。英語名はThe MoLeで、直訳すると「モグラー」らしい。「ジェットモグラ」は日本で玩具として販売したときの名前なんだとか。
「サンダーバード(Thunderbirds)」は、イギリスのジェリー・アンダーソン(Gerry Anderson)という映像作品プロデューサーが手掛けた作品。
ちなみに、日本での放送は、NHK総合で、1966年(昭和41年)の4月から。

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MOLE部が約10cm。劇中の大きさ設定は全長18.3mってことらしい。ということは、1/1830。
どこ製の模型かはわからない。


ジェリー・アンダーソンの作品は、「サンダーバード」の前に「スティングレイ(Stingray)」というのがあって、「海底大戦争」というタイトルで、フジテレビで1964年(昭和39年)9月から1965年(昭和40年)3月まで放送された。
で、その前に放送されていたのが、「スーパーカー(Supercar)」で、NTVで1961年(昭和36年)10月から1962年(昭和37年)4月まで放映された。
「サンダーバード」も「スティングレイ」も「スーパーカー」も、いずれも糸で操るマリオネットをつかった“特撮人形劇”。
口の動くフィギュアが動き回り、リアルに作られた模型が、ジオラマの世界を飛び回る。「スーパーカー」こそ幽かな記憶しかないが、テレビで見たこれらの映像が鮮烈に頭に焼きついた。きっと、自分の趣向の原点は個々にあるに違いない。
庭に小さな池をつくり、船の模型を沈めて、サンダーバード2号からコンテナを降ろす。中から潜水艦の4号を出動させて、池に潜らせる。その時の庭の土の感触も、水の生ぬるさも、「早く家に入りなさい」という母の声も、いまでも鮮明に覚えている。
“国際救助隊ごっこ”の楽しさが、ずうっと忘れられず、数十年たってもその楽しさから離れられない。きっと、それが今の趣味部屋に繋がっている。

「三大怪獣 地球最大の決戦」は映画館ではじめてみた怪獣映画。名古屋市の大曽根にあった映画館に祖父につれていってもらった。公開が1964年12月だから、「サンダーバード」が始まる2年前。
ラジコン操作のスケールダウンされた自衛隊の戦車。上下にカタカタと震動しながら、まさに模型然の動きで荒れ野を進む。当時だって模型だとすぐに解ったけれど、それが逆に映画らしく妙に興奮した。
「ウルトラQ」が1966年の1月から。マンモスフラワーが丸の内を再現したビルの模型を壊す。第28話の「あけてくれ!」で小田急ロマンスカーみたいな模型列車が異次元空間をとびまわり、南極観測船の模型をペギラが襲う。
「ウルトラQ」のあと、1966年7月から「ウルトラマン」が。2週間ほど先んじて「マグマ大使」が放送開始。1967年(昭和42年)10月からは「怪獣王子」。
1968年(昭和43年)4月6日からは円谷プロ製作の「マイティジャック (Mighty Jack) 」がフジテレビで始まった。
マイティジャックは万能戦艦で、空を飛び、海に潜る。出撃は海底に作られた専用ドックから。超高速度で撮影されたドックへの注水シーンが印象的。精巧(当時はそう思った)につくられたマイティジャック号の模型が水に覆われていく。“特撮”への憧れが沸々と涌いた。

映画「連合艦隊司令長官 山本五十六」は1968年の公開。映画の中で飛ぶ戦闘機たちはもちろん模型。セットの上空に細いピアノ線で吊られた編隊を撮影した。
この撮影に、当時、凄い工夫があった。いくら細いピアノ線で吊ってもどうしてもピアノ線が映ってしまい、吊られた模型とすぐにわかって興ざめ。そこで工夫した。ゼロ戦の模型をピアノ線で逆さまに吊る。そしてカメラも逆さまにして撮影すると、映ってしまうピアノ線はゼロ戦から下に向かって。だから吊ったようには見えない。
“日本よ、これが映画だ!”という「アベンジャーズ」と比べたら、あまりにも原始的で稚拙だけど、当時、少年漫画雑誌の特撮特集を読みながら、「これが映画だ、特撮ってすごぉい!」って、わくわくした。

「GIジョー」が輸入され発売されたのが1966年。「マッチボックス」というダイキャストのミニカーが日本で展開されたのが1960年代。「ホットホイール」のミニカーはアメリカとほぼ同時発売で、1969年からは日本語版パッケージが販売された。
タミヤが第1作目のプラモデル「戦艦大和1/800」を発売したのが1960年。1967年には1/12の「ホンダF-1」を発売した。実車を取材して再現したという精密さと聞いて憧れた。“精密”という言葉はたぶんこの時に覚えた。1968年には1/35 のドイツ戦車兵のフィギュアを発売した。
1966年には「ウルトラQ」や「ウルトラマン」の怪獣のソフトビニール人形が大ヒットした。

1960年代は、模型がテレビや映画に大活躍した時代。1960年代は、趣味の対象となりうる刺激的な“おもちゃ”が、どんどんと発売された時代。そして“映像”と“おもちゃ”がシンクロした時代。
その、まさに“黄金期”に、いちばん多感な時を過ごした。身体に浸み込んだ。浸み込んだまま“うん”十年。洗い流すことは“ムリ!”。

趣味部屋完成

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念願の趣味部屋完成!
いや、とりあえず体裁が整った。 
いやはや、4ヶ月前にいい感じで転居先がみつかって、ばたばたと引越しをして。
いままで溜め込んだ、自分的“宝の山”を運びこんで。
こつこつと開梱し、どこに置こう、どうやって飾ろう、ああでもないこうでもないと試行錯誤。
“宝物”にかこまれた、桃源郷、理想郷づくりに、ひたすら勤しんできた。

趣味部屋という名の桃源郷。ここに入れば世捨て人になれる。
浮世のもろもろを忘れ、自分の世界に没頭できる。

ま、見方を変えれば「子供部屋」。約6畳の「おもちゃ箱」。
10人中8人が、「いい歳をして」とか「いい加減に大人になりな」とか「ばっかじゃないの」と思うに違いない。
なんで10人中8人かというと、せめて2人くらいは「すっごくいいんじゃない」「こだわりの部屋だね」と言ってくれる人がいてくれるといいなぁという希望。

なんといわれようと、念願の趣味部屋。
自分の好きなものに囲まれて時を過ごしたい。そんな“贅沢”が何時かしたい。それがついに実現した。“夢”がかなった。
ミニカーに模型飛行機に鉄道模型にフィギュアなどなど、いい歳をして、おもちゃにうつつを抜かしてぇ。
はい、そのとおり。まさにうつつを抜かしております。
“うつつ”とは漢字で書くと「現」。現実にあることと言う意味で、「正気」「本気」という意味がある。
「うつつを抜かす」とは “夢中になって本心を失う事” という意味らしい。
はい、そのとおり。わが趣味部屋は、夢中になって本心を失う部屋であります。

「うつつを抜かす」と Yahoo!翻訳 に入れたら、It is addicted と訳した。
addict を電子辞書のジーニアス英和大辞典で調べると、(人が)[麻薬・酒などに] 中毒になると書いてある。そして「(趣味などに)凝っている、やみつきになっている」とも書いてある。
どんぴしゃではないか。間違いなく我が趣味部屋は、凝る部屋。やみつきになる部屋。
「Addict room」と名付けようか。いやroomじゃちょっとベタだな。“おもちゃ達”を飾るだけでなく、工作部屋でもあるから、クリエータぶってstudio とかatelier なんてどうかな。
studio やatelier は日本語に訳すと「工房」。そこだけ日本語に直して、「seezoo's Addict 工房」はどうだ。うむぅ、どうも語呂がよくないなぁ。いまいちしっくりこない。

ちなみに「工房」という言葉にはむかしから憧れがある。むかし、文化財に興味があった父から“宮大工”のことを教えられ、“匠”という言葉を知った。父に連れられ奈良や京都の文化財をめぐり、“匠の技”の凄さを教えられた。
その“匠”の仕事場が「工房」だと認識した。
「工房」に憧れた。工房を持つ仕事がしたいと思った。が、“匠”になれる技術や能力がないのはさすがにすぐ自覚。「工房」という言葉だけが心に残った。
わが趣味部屋のネーミングは洒落の世界。自分の勝手。だから匠でなくて「工房」と呼んでも、誰にも文句は言われない。

「工房」は “お気に入り” のアイドル歌手のグループ名。またまた「いい歳をして」と言われるのは必至だけど、この歳になって家内と2人で彼女たちのコンサートにも行く。
実は、娘が仕事で彼女たちと関わりがあって、近しい気持ちになり、歌も気に入り、踊りもいいなぁと思うようになって、夫婦で嵌っている。

“匠” と “アイドル・グループ” はえらい違うが、「工房」という言葉には思い入れがある。わが趣味部屋のネーミングは、とりあえず「○○工房」ってな感じで考えよう。

保存用にもうひとつ?

マニアはひとつの商品を最低2個購入します。ひとつは開封して遊ぶため、そしてもうひとつはパッケージそのままの状態で保存するため。
そんな話を、スターウォーズのエピソード4〜6の特別編公開のときだったかに聞いた。
特別編のエピソード4が日本で公開されたのが1997年。同じ年に「スポーン(spawn)」がアメリカで公開され、翌年日本で公開された。
「スポーン(spawn)」は、トッド・マクファーレン(Todd McFarlane )というカナダの漫画家が描いたアメリカン・コミック。
マクファーレンは、「バットマン」や「スパイダーマン」などのイラストも担当している。
彼は、自分の作品をフィギュア化すべく、「マクファーレン・トイズ」を設立した。
この「スポーン(spawn)」のフィギュアの完成度が高かった。登場人物たちが塗装済み立体フィギュアとなり、シリーズで発売された。フォルムもリアルで細部まで作りこんである。みごとな塗装が施されている。これをどうやって大量生産するのだろうと、当時、驚くしかなかった。それまでのフィギュアを格段に超えたと思った。
この「マクファーレン・トイズ」の「スポーン(spawn)」フィギュアが、その後のフィギュアを変えた。
スターウォーズ特別編の公開とスポーンのフィギュアで、フィギュア熱に火がついた。火がついた人たちが世間に繁殖した。
ひとつのフィギュアを2つも3つも買う人たちが増殖した。

ちなみに、スターウォーズ特別編は、製作時1976年に技術の問題で映像化できなかったアイディア部分を、その後進んだデジタル技術で修正追加し、色彩や音響なども再編集された。
旧作のときには描けなかった新たなシーンが追加されていたり、ハン・ソロがジャバ・ザ・ハットの尻尾を踏むシーンも追加修正されている。
エピソード6のラストシーン、イウォークの村での祝宴のシーンで、ルークの前に、オビ=ワンとヨーダ、父のダース・ベイダー卿が素顔で現れるが、旧作では年をとった親父の顔。が、特別編では若いアナキンに変わっている。気づいたときは「すごい。こだわり!」と思った。
古いシーンは、旧作のVHSかレーザーディスクを持っている人しか見られない。レーザーディスクはあるが、プレイヤーがない。

1992年に神奈川県の相模原に「トイザラス」(3号店)が開店し、そこで「GIジョー」と再開して、子供の頃からくすぶっていたフィギュア熱がほそぼそと燃え始めたが、経費はすべて息子の「マスクマン」や「仮面ライダー・ブラック」「トランスフォーマー」に消えた。
その5、6年後、息子もスターウォーズにもスポーンにもハマって、2人で燃えた。
けど、いまだにフィギュアに燃えているのは、いや“萌えている”のは自分だけ。息子には呆れられる。結局、息子より自分の方が子供だった。

おもちゃは遊ぶためのもの。フィギュアはポージングをして飾るためのもの。
もともとが「○○ごっこ」をして遊びたいタイプ。主役にパーツを持たせ、着替えさせ、ポージングをして楽しみたい。パッケージに収めたまま眺めて満足するなんて我慢できない。だから、保存用にもうひとつ、なんてことは、まんがいち裕福であったとしても、きっと考えなかったはず。

が、最近のフィギュアのパッケージはハンパなくすごい。
ゆえに、保存用も含めて2個欲しいというのもアリだと思った。
パッケージは運搬用の包みで主役は中身のはず。
なのに、いつの頃からかパッケージ自体が豪華になって、主役がかっこよくレイアウトされて収められて。
そのまま飾っても十二分に鑑賞に堪える。いや、それどころか、それを包む外箱すらお洒落で飾れるから、傷つくのが憚られる。
「ホットトイズ HOT TOYS」のフィギュアなどは、外箱を包む専用のダンボールに入れられて届く。
きっと、超マニアはそのダンボールさえもコレクションの一部なんだろうな。
「輸送用ダンボールに少々の痛みが」なんて、ヤフオクのコメントに付きそうだ。
のちのちヤフオクで売るためになんて、到底考えないが、「遊びや展示用」と「保存用」の2個欲しい。

「ホットトイズ HOT TOYS」 は、香港の玩具メーカー。超高精度の1/6フィギュアを造っている。最近のラインナップを見るとただただ呆れる。玩具というよりは作品、一点ものといっても問題ないフィギュアを製品化している。
このホットトイズの「ベイビードール BABY DOLL」のパッケージが凝っている。

「ベイビードール BABY DOLL」は、映画「エンジェル・ウォーズ(原題:Sucker Punch)」の主人公。独特な雰囲気で非現実の世界を描いた“空想科学アクション”。古くてベタな表現(汗)。主人公はブロンドのツインテールで、衣装はミニのセーラー服。日本刀を背負い拳銃を身につける。まさに“アキバ系”のキャラクター。ツェッペリン飛行船や片方の翼にジェットエンジンが取り付けられた大戦機B-24リベレーター、モビルスーツまで登場する。なんでもアリ。けど1シーン1シーンがかっこいい。常に画面は暗くてダークなイメージ。音楽もいい。監督ザック・スナイダーが創出した不思議な世界観。こういうの、大好き。ハマった。 

このベイビードール BABY DOLL」をホットトイズがフィギュア化した。そのパッケージがかっこいい。
映画の雰囲気、メインキャラクターたちのイメージにぴったりのデザイン。
フィギュアを納める箱に、蓋を上からを覆うように被せ、むやみに外れないように箱と蓋をリボンで繋ぐ。
このリボンが、キャラクターたちが劇中で身につけている“ガータベルト”に使われている素材。
誰が考えたのだろうか、発想に“やられた”。ホットトイズのデザイナーはかなりセンスがいい。
限定生産だそうで、どれくらい生産されるのかは知らないが、でも、これを量産するのは、もう呆れるしかない。

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ホットトイズ HOT TOYS 「ムービー・マスターピース」シリーズの「ベイビードール BABY DOLL」 1/6スケール

30箇所以上が可動する。日本刀やピストルなどの武器を持たせるため、差し替え用ハンドパーツが付属する。
顔も演じるエミリー・ブラウニングそっくり。かなりの精度で再現されている。一つひとつをハンドペイントで塗装しているのだそうだ。ブロンドのヘアスタイルも植毛で再現され、衣装やホルスターなどの装備までかなり細かくつくられていて“超”すごい。

 
開封せず、中身もちゃんと収まったまま、開封前のわくわく感をいつまでも楽しむ。新品の状態で保有する。そんな満足感をコレクションするために「保存用」を買う。

そう思うほど、最近のパッケージはクオリティが高い。パッケージを含めて製品の完成形。

フィギュアとパッケージの一体の関係。いや、フィギュアだけでなく、特に趣味の対象となりうる玩具全般にいえるパッケージのあり方。
そんなことを最近よく考える。
おもえば、タミヤのプラモデルのパッケージにも、かつて似たようなことを感じた。

Blue Angels

ブログにずいぶんご無沙汰をしてしまった。
引越しをして約100日、新趣味部屋の構築作業に没頭していた。
いや、いまだ没頭中。

趣味部屋の移設が決まり、運び込んだ引っ越し荷物を、毎日こつこつと開梱してレイアウト。
荷物のほとんどがもちろん“1/@ Hobby's Item”。大人? のおもちゃ。自分にとっての宝の山。
今まで飾る場所がなく、泣く泣く押入れに眠らせていた“彼ら”に陽を当てる作業。
「あ、これもあったんだ。」「そうか、こいつもいたんだね。」
ひとつひとつ、梱包を解くたびに手にとってじっくりと眺め、物によっては外してあったパーツを取り付けてみたり、衣装を着せてみたり。
しばらく遊んで、やっと「さて、こいつはどうやって飾ろうかな。」という始末。
このままだと、何時、新趣味部屋(仮称)が完成し、ちゃぶ台ではなくなったファクトリーが稼動し、中断している「ゼムケのP47 1/18を作ろう」プロジェクトが再開するのか。

趣味部屋構築作業、じっくり進むのにはもう一つ原因がある。精神的に余裕が出来たこと。趣味のことに夢中になれる心のゆとりが出来たこと。
図らずもの人事異動で新天地に単身赴任。今年で3年目。まさにこの新天地の生活が、心にゆとりを与えてくれた。
それまでの、ありがちな、人間関係によるストレス漬けの毎日から一転。仲間にも恵まれ、季節が素直に感じられる住環境にも恵まれて、本来のときの流れを取り戻せたといってもオーバーじゃない。だから、好きなことにじっくり取組む心のゆとりができた。“こだわり性”の箍(たが)が外れて、時間を忘れてのめり込めるようになれた。
引越し荷物を一つ解いては“のめり込んでいる”いるのだから、じっくり進むというより停滞。そりゃ、はかどる筈も無い。

「Blue Angels」のパイロットが出てきた。12インチ。6分の1。
購入後、箱から取り出し、ガラスケースに立てて飾っていたが、数年前に仕舞いこんでいた。
どこのブランドのものだったか、記憶が薄い。箱も捨ててしまって確認もできない。「Toys Air Mail」という会社が発売したものだった気もするが。
フィギュアか何かのイベント会場で限定で売られたものだったような。10数年も前、「限定」の言葉に引かれ、知らない街の会場に電車を乗り継いで行ったかすかな記憶が。
「Blue Angels」の1/1のエンブレムが付録でついていた筈だが、それもない。
Toys Air Mail」だとすると、Hot Toys製か。Toys Air Mail はHot Toysの正規代理店で、中野ブロードウェイにお店があった筈。今はない。

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久しぶりの対面。あらためて見直すと、フィギュア自体のプロポーションの問題もあるが、耐Gスーツなどが細身に作られすぎていて、装着すると足が極端に細く見えてしまう。
なので、少しましなプロポーションのフィギュアに装着し直し、ヘルメットの外れやすいパーツなどを接着し直した。
しっくりくるまで数体のフィギュアに、着せたり、脱がせたり。気がついたら、日が変わっていた。

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2005年9月、「Blue Angels」の演技を“ライブ”で観た。
アメリカの東海岸にあるオシアナという海軍航空基地。2005 NAS Oceana Air Show。
F-14トムキャット最後の勇姿を、と銘打った航空ショー。退役間際、各地の基地からオシアナに集められ、航空ショーとして公に飛ぶのはこの時が最後。
そう聞いて、友人夫婦と家内と自分、4人で無我夢中で渡米した。
国内の航空ショーは岐阜も行ったし、静浜も、小松基地も行った。もちろん「Blue Impulse」のベース松島も行った。けれど、海外の航空ショーは、あとにも先にもこのオシアナだけ。
友人とわたしの飛行機への思い、双方の奥さんの旅行気分と遊び心、それに “トムキャット ラスト・フライト” というキーワードがシンクロして実現した。
渡米とはいえ、観光なんてホテル付近を散歩しただけ。それ以外2日半、基地の中で過ごした。でも、奥さん方も楽しんだ。それほど“本場”の航空ショーは面白い。
国内の航空ショーとはスケールが違う。違いの一例は、国内の航空ショーは見上げて飛行機を見るけれど、“本場”は見上げなくても、ほぼ正面目線を飛行機が飛ぶ。
「次のフライトは何時からか…」なんて待っている時間なんてまったくない。F86セイバーやファントム、スーパーホーネットなどなど、とにかく何かが飛んでいる。
“ライブで観た”と書いたが、まじでLive!。飛行機たちの演技にDJがつく。映画「TOP GUN」の「Danger Zone」が基地内に流れると、「君たち、トムが見たいか!(もちろん英語で)」とDJが叫ぶ。それに答えて群衆が「イエィ!]と絶叫する。
「Come On! Tom!」。はるか遠くに点に見えたトムキャットが、一瞬にして目の前に。興奮するジェット・サウンドを響かせて、踊るように身体を振りながら目の高さを通過する。鳥肌が収まらない。
“トリ”が「Blue Angels」。大空を舞台にした一大スペクタクル・ショー。うわっ、すっごくベタな表現。そういわれても仕方がない。筆舌に尽くしがたい。

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オシアナで撮影した写真
 
オシアナを境に、国内の航空ショーにも行っていない。“本場”を観てから、「国内のはなぁ。」と思うようになってしまった。くどいが、それくらい“本場”は凄い。
けど、最近、少々禁断症状。海外は到底無理だから、久しぶりに国内の航空ショーに行こうか。
千歳基地の航空祭は8月、千歳には「政府専用機」がいる。一度間近で見てみたい。近場なら、茨城の百里基地。ここは確か10月。ただ、渋滞と人ごみ。イベントが観づらいマナーの悪さ。それらを思うと腰が引ける。

ギラーモ・フォルチーノ

単身赴任生活のおかげで図らずも持てた「ちゃぶ台ファクトリー」。
単身生活ゆえ家族への気兼ねもなく、出勤前、帰宅後、食事をしながら、テレビを見ながら、思う存分、好きな模型いじり。

この4月、ひょっとすると「ちゃぶ台ファクトリー」も撤収やむなしかと覚悟していた。
単身生活終了、自宅から通勤可能な職場に“人事異動”の可能性ありと、嬉しいような残念なような複雑な心境で、3月後半を過ごした。
作業途中の「ゼムケのP47 1/18を作る」プロジェクトも中断し、というか、気もそぞろで手につかず。

「もう1年、頼むよ。」
上司の言葉でファクトリー継続が決まった。これも出来る、あれも出来ると夢が広がった。
ただ、正直、ホームシック感も。自宅に戻れない寂しさはかくせないが、別に海外に赴任してるわけでもなし。
カーナビの計測で、ドアツードアで81km。時速80kmで走れば1時間の距離。実際に首都高速を使って1時間30分かかるか、かからないか。週末には苦もなく帰れる。別荘だと考えれば、なんか贅沢な気分。

「もう少し広いところに変わったら?」
なんと、びっくり。嬉しい奥さんの言葉。
単身赴任により、整備が中断して倉庫と化していた、自宅近くの「趣味部屋」を、いっそのこと移動してしまったら、という提案。
「少なくともあと1年戻れないなら、趣味部屋も完成しないまま倉庫になっちゃうんじゃ、もったいないじゃない。」
「そ、そうだね。保管されてるままじゃ、模型たちもかわいそうだよね。ねっ。」
「模型に囲まれて、お酒、飲みたいんでしょ。」
「うん、うん、飲みたい、飲みたい。」

今までのアパートから歩いて3分。理想的な物件が見つかった。間取りも環境も希望以上。
とんとん拍子に契約も進み、あとは趣味部屋の中身を引越しさせるのみ。それもあと1〜2週間のうちに完了する。
「もう少し広いところに変わったら?」と提案してくれた奥さん、いや奥様さまが “天使” に見える。いまのところ。

趣味部屋引越しのための梱包作業はなかなかトントンとは進まない。
「おっ、これはどうやって飾ろうかな?」「こいつはここを修理しなきゃ。」「こいつは処分するか。」、あげくに「これ、やっぱ、かっこいいなぁ。」…。
ひとつひとつにつかまって、ちっとも手が動かない。片付けることが苦手な人によくあるパターン。

「おお、ギラーモ・フォルチーノだっ。」
箱に入れたまま保管されていた模型。いや、模型というよりオブジェ。
梱包どころか、箱から出して見入ってしまった。

「ギラーモ・フォルチーノ」は作家の名前。Guillermo Forchino。
1952年、アルゼンチン生まれ。両親はイタリア人。現在パリ在住。ポリレジンで作品を作る。
英語のWebサイトでは “ Comic Art ” と紹介されている。 
コミックタッチの立体造形は独特の世界観。作品一つ一つにドラマがある。

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作品名「Business Trip」

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作品名「Taxi」

スケールを問うのは的外れかもしれないが、あえて。
「Business Trip」という作品は、たぶんポルシェ356。実車は全長3870mmでこの作品は全長330mm。
3870÷330=11.7272…。四捨五入して12。で、1/12ということになる。

 「新趣味部屋(仮称)」のどこに飾ろうかな。いや、趣味部屋よりも「VM Studio」がいい。
「VM Studio」は、Visual and Aidio Studioのこと。実は、テレビとオーディオを並べたリビング・ルームの一角。 ネーミングも楽しむ。
「趣味部屋」も、なんかかっこいいネーミングがないか模索中。

フォルチーノの作品、デザインが気に入っている真空管アンプの横あたりに飾ったら、きっといい感じになるぞ。

Mickey Mouse

昨年の大晦日、といってもまだ数日前のことだけど、「紅白歌合戦」にミッキーが出た。ミニーもドナルドも、チップとデールもいた。
テレビ番組の「ディズニーランド」にわくわくした世代だから、いい歳になった今でも「ミッキー」と聞くだけで心が躍る。

「ディズニーランド(Disneyland)」というテレビ番組は、アメリカで1954年から1958年まで、アメリカで放送された番組。日本では1958年8月29日 - 1972年4月30日まで日本テレビ系列で放送されていた。(Wikipedia情報)
アメリカではタイトルやネットワークを変更しながら2008年まで放送されていたとWikipediaで知ってびっくりした。

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ティンカーベルが飛んできて妖精の粉を振りまく。タイトルが現れて番組が始まる。ウォルト・ディズニーが登場して、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つの国の中から、毎回一つの国をとりあげ、それに関連した内容を紹介するというもの。確か1時間番組だったと思う。
ミッキーたちキャラクターが登場するアニメであったり、テーマパーク開発の裏側を紹介する番組であったり、科学技術や自然界を紹介するドキュメンタリーがあったりした。
今も世界のディズニーパークのアトラクションなどで活躍しているロボット「オーディオアニマトロニクス(Audio-Animatronics)」というロボットも、この番組で紹介されていた。オーディオアニマトロニクスとは「Audio:音」プラス「Animation:動き」プラス「Electronics:電子」の造語。コンピュータで音楽に合わせてロボットを動かす。
新婚旅行で行ったアナハイムの「ディズニーランド」で、初めて、音楽に合わせて歌って踊る海賊たちと実際に出会えたときには、鳥肌がたった。

「今日、東京ディズニーランドに行っている人たちはかわいそうだね。だって、ミッキーたちは今、紅白の会場にいるんだから、ランドにはいないんだもんね。」
そんな無邪気なことを奥さんと話しながら、アイドル歌手や有名子役たち大勢と一緒に踊るミッキーを見て、あらためてウォルト・ディズニーの創造力の凄さに思いを馳せた。

ウォルト・ディズニーは、映画やコミックスという2次元の中で活躍していたミッキーと、3次元の世界で生きる我々を握手させた。握手どころか、抱き合い、キスさえもする。
 映画という2次元の世界でミッキーをどんどんと我々人間に近づけ、「ディズニーランド」を作って、われわれに2次元の世界を体験をさせた。我々はそのバーチャル世界の虜になって、疑似が疑似ではなくなって、3次元の「ディズニーランド」で歌って踊るミッキーを“本物”と思うようになった。

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MEDICOM TOYのMickeyと講談社刊「ミッキーマウス・トレジャーズ」
 
はじめてスクリーンで口笛を吹いた白黒のミッキーと、魔法使いの弟子になったミッキーとは明らかに姿も動きも違うことはもちろん知っている。1955年、アナハイムの「ディズニーランド」が開園したときのミッキーと、いま「東京ディズニーシー」にいるミッキーとは明らかに違うことも知っている。
ましてや、アニメーションのミッキーとテーマパークのミッキーの違いは…なんてあえて言うかって感じ。
そんな細かいことにはこだわらない。それはあえて言うならミッキーの経歴。履歴書に書くこと。
今やミッキーは“人格”を持った。 

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HOW2WORK社 Mickey Mouse 1/6アクション・フィギュア  

ミッキー・マウスはひとりしかいません。
自分と同じ人がもう一人どこかにいたら怖い。それと同じ。
うん、うん。
「東京ディズニーランド」と「東京ディズニーシー」で同時にミッキーがキャストと握手をしていることなどありえない。なぜなら、一人だから。
そりゃそうだ。
「ミッキーが紅白に出てる時、ランドやシーにいた人たちはミッキーに会えなかったね。」
「いや、そうじゃない。あの時間、パークは閉まってました。」
「えっ?」
そうだった。ちょうどあの時間は、カウントダウン・イベントのために一時閉園している時間だったんだ。脱帽!

昨年、ハワイにオープンしたディズニーのホテル「アウラニ・ディズニー・リゾート&スパ」に行った。幸運にもグランド・オープンの時だった。
ほぼ1週間かけて行われたイベントのリハーサルをほぼ始終見ることができた。ディズニー・カンパニーCEOのボブ・アイガー氏が来ていた。遠目ながらその姿を見られて、ちょっと嬉しかった。
リハーサルにミッキーも参加していた。待ち時間の手持ち無沙汰なミッキーを見た。リハーサルでさえ仕草がやっぱりミッキーなのだ。

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Aulani Disney Resort & Spa のMuckey   “いないいないばぁ” 

2次元で生まれたミッキーは、いまや3次元でわれわれと共存している。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンにいくとスヌーピーがいる。サンリオ・ピューロ・ランドにはキティちゃんがいる。
それぞれのファンにどつかれるかもしれないが、彼や彼女はやっぱり“着ぐるみ”。ミッキーは明らかに違う。
ミッキーは人格を持つ。われわれはその“錯覚”を好んで受け入れる。
われわれが好んで錯覚を受け入れられる世界をディズニーは作った。

ウォルト・ディズニーの創造へのこだわりがその世界を生んだ。ウォルトは凄い!
あばたもえくぼ。だれがどう言おうと自分はウォルト・ディズニーの信奉者。
“3次元ミッキー”をテーマに格好よく客観的にディズニー評を書くつもりが、やはり無理だった。 

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